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肉が部厚に盛り上つているために自然と深くできた額の横皺、稍やゝ動物的な感じのする大きな眼玉、近頃その上に髭を蓄へはじめた厚いふくらんだやうな唇、それらのあまり美しいとは云へない部分々々を一つの形にまとめるやうに顔の下半から張り出している円い確しつかりとした案外柔味のある顎――盛子が結婚後最初に覚えたのはこの円い顎だつた。それは房一の顔に調和と落ちつきを与へていたばかりでなく、盛子の胸に何かしら安心と親しみ易さを感じさせた。
「まさか!」
が、徳次は話したいことが一杯あつた。彼には女の子ばかりが四人もあつた。一人いる男の子はまだ赤ん坊だつた。それらは全くうようよと、徳次の知らない間に生れて来たやうな気がした。家の中を葡はひずりまはり、土間にころげ落ち彼の足にとりつき、彼を「お父ちやん」と呼んだり、「お父う」と罵つたりする。彼は子供を可愛がつているのか煩うるさがつているのか、自分でも判らなかつた。彼にはあらゆることが矍鑠くわくしやくとした老船頭だつた父親がいつの間にか耄碌もうろくしてよろよろ歩くやうになつたこと、一番上の姉娘が或る時ひどい熱を出してから頭が変になつていまだに「八文」であること、何の気なしに押した無尽の請判で百円といふ大金を支払はされるのだと聞いて小半年の間世話人のところに文句を捻ねぢこんで手こずらせたこと、それらすべてのことが徳次には一体どういふわけで起きたのかさつぱり判らなかつた。それは漠然とした年月だつた。たゞ何かしらこみ入つて、一杯つまつて、過ぎてしまへば片つぱしから一向に手答へのないものになる年月だつた。それをどんな風に話したらいゝものだらう。
「閉口でしたな」
徳次は足を踏ん張つて立ち、まだそこら中を見まはしていた。房一はちらりとその顔を見たが、黙つて片づけていた。
「何者かつて云ふが、そもそもこゝで半鐘をたたいたから集つて来たんだぜ」
「もう帰つたんかね」
彼は先だつて房一から全快祝ひに贈られたセルの上下を、仕立下したばかりのものを着こんでいた。夏からふた月あまり寝こんだとは云へ、日焼けの浸みこんだ黒い皮膚の色は容易にとれないと見えて、今もそれが真新しいセルの、明い地色と際立つた対照をなしていた。
河原町では、山車だしや仮装行列のほかに、夜に入つては提灯行列が出たし、町の上手にある神社の境内では奉祝の花競馬も行はれ、射撃大会まであつた。競馬の行はれた境内は不断殆ど人気のない所で、そこには永い間風雨にさらされて木口こぐちがすつかり灰白色になつた大きい拝殿がゆるんだ屋根の端を高いところで傾けていた。そこには紅白の幕が張られた。走路は拝殿のわきのかなりな池の周囲に造られたが、所々に笹を立て、それを荒縄でつないだだけで、方々から集つた馬は大抵胴がいやに太くて足の短い、腹や胸のあたりにぼさぼさした毛の生えた代物だつたが、わきに外それやうとする馬は周囲を黒山のやうに囲んだ見物人達の喚声と棒切れとで又内側へと追ひこまれ、池の中にはまりこみ、泥まみれになつて走つたりした。拝殿の観覧席には相沢知吉の顔が見えた。彼の持馬も出場したのである。相沢は例のカーキ色のズボンをはいて来たが、馬には乗らずに牽ひいて来たのだつた。見ただけでのろまな在馬ざいうまにくらべると、相沢の馬はずば抜けていた。かなり遠方からやつて来たといふ栗毛の馬と競せり合つたあげく、相沢の馬は優勝を獲かち得て、賞品の幟のぼりと米俵とを悠々と持つて行つた。射撃大会は猟天狗仲間が河原に集つてクレーの射撃をやつたので、これには大石練吉が自慢のマンチェスターの銃を携へて出席した。発条ばねが跳ねる、とクレーはちやうど山鳥か何かが飛び立つかのやうに、ゆるい弧を描きながら青空に投げ出される、その瞬間、射手は腰のあたりに構へた銃をすばやく肩に引上げ、パンといふ音が響き、クレーは微塵に砕け散つた。が、大半は遠く河原の上に落ちてそこで砕けたやうであつた。後で格別噂が立たなかつたところを見ると、練吉は不成績だつたのだらう。
と云つたまゝ、もの珍らしげに、しばらく眺めていた。それから、相手にその意味が判るやうに微笑をし、目くばせをしながら、
この家は上手にある鍵屋といふ旧家の分家だつたが、或る事情でこの一年ばかりの間空家になつていた。こんな家を何も空家にして置かなくてもよかりさうなものだが、そして最初二三ヶ月の間は本家の鍵屋から留守番に人が来ていたのだが、間もなく手がかゝるためか閉めてしまつた。それと云ふのも鍵屋でさへだゝつ広く黴臭い自分の家を持てあましていたからである。鍵屋にかぎらず、維新前から明治大正にかけてひきつゞいた田舎の旧家はかなりの地主にちがひなかつたが、それは形だけは鬱蒼としているが幹が空洞になつた大樹のやうなものだつた。鍵屋はもとは名代の酒造りだつたが、当主の神原文太耶になつていつの間にか止めてしまつた。その代りでもあるまいが、神原はその当時この附近では珍しかつた法学士といふ肩書のためか、次第に政治に身を入れるやうになつて、今では歴年県会議長をつとめていた。家にはめつたに居ない。それで、昔のまゝに格子造りの鍵屋の表口はいつも半ば閉めたやうにひつそりしていた。その母屋おもやの横手から裏にかけてはもう何の役にも立たない古い倉庫が無暗みと大きな屋根と、あの風雨にたゝかれて黒ずんだ汚点しみのついた白壁とを突立てているきりだつた。
と、急に練吉が小耳にはさんで云つたのは、多分黙つて他のことを考へていたのだらう。